希望をもって喜ぶ

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ローマの信徒への手紙12章9~21節

イエス様の十字架によって救いに与った私達は新しい価値観を持って新しい人生を歩み始めました。自分こそ罪人の頭だったと考えるパウロは、今日の箇所で新しい生き方というものが具体的にはどういうものか示してくれています。私達がその一つ一つを自分の日々の言動と重ね合わせると、およそここに書かれている信仰者の姿とはほど遠い現実です。

しかし、救いに与からなかったら、自分がどんな惨めな生き方しか出来なかったか、それを弁えていることが大切です。常にその原点に帰っているなら、傲慢な思いは砕かれ、他者への尊敬と愛が生まれてくるとパウロは説くのです。しかし、そうは言っても「悪に負けることなく善をもって悪に勝ちなさい」(21節)という行為は決して簡単ではありません。

かつて教会の皆で「クワイ河収容所」という本を読みました。第二次大戦中タイとビルマ間に泰緬鉄道を敷設するにあたり外国人捕虜の人々が過酷な労働を強いられた収容所での出来事です。一人の捕虜の祈りからいつか荒み切った収容所全体の空気が変わり、皆の中に神様への祈りと互いを思い合う心が生まれる奇跡が起こったのです。この捕虜達が別の収容所に移動する途中、日本の負傷兵が乗せられた列車に遭遇します。そのあまりに無残な姿が哀れで敵軍である日本の兵士等に対してこの外国人捕虜達はその列車に駆け寄り、自分達の水と食糧を与え傷口を拭いてやります。別れ際日本の負傷兵達は敵軍の捕虜達に「アリガトウ!」と叫びました。これはフィクションでなく実際に起こった出来事です。

イエス様は人の心を変えて下さいます。イエス様から頂いた愛に応える生き方が出来るようになるのです。このことが一人一人に実現するという希望を持って、喜びと感謝の日々を送ってまいりましょう。