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迫害が起こったとき

投稿日:8月 5, 2017 更新日:

マタイによる福音書10章16~25節

 8月15日が何の日か知らない若い人が増えていると聞きます。先日、戦時中の満州における731部隊の残虐な行為について放映されました。
このおぞましい行為を続けた責任者の多くが無罪放免となり、戦後日本の医学界の重鎮となった人もいたという事実には驚かざるを得ません。
では、戦時中のキリスト教界はどうであったか?日本のキリスト者は、一部の人々を除いて、多くが真っ向から当局に抵抗することはなかったと言えるのではないでしょうか。戦時中の日本は宮城遥拝といって皇居に向かって拝礼しなければ非国民とされて大変な目に合うのが当たり前になっていました。これを拒絶することなど出来ない状況だったのです。
「信徒の友」8月号にはヒットラーの政権下、ドイツの教会の抵抗運動を指導したニーメラーについて書かれています。8年も強制収容所に入れられ、戦後ようやく解放された後に書いた彼の文章が載っています。
ナチの攻撃が自分の身に及ばぬ間は自分は何もしなかった。しかし、攻撃が教会に及び、そこで自分が初めて立ち上がった時は既に手遅れであった、という内容です。
 イエス様は本日の箇所でこのように仰います。「引き渡されたときは、何をどう言おうかと心配してはならない。そのときには、言うべきことは教えられる。実は、話すのはあなたがたではなく、あなたがたの中で語ってくださる、父の霊である。」(19,20節)
私達は本来勇気のない者です。けれど時代の動きにはいつも目覚めている者、祈る者でありたいと思います。そして、内で語って下さっている神様の霊を信じて恐れない者にされることを願うのです。

-説教要旨

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