本日の箇所には、偽りの預言をする者達の声に惑わされるな、と書かれています。考えてみますと今の時代に生きる私達は、いかに多くの預言の言葉を聞かされていることでしょう。情報化社会はこれから益々進化し、人工知能が人間の能力を超えて行くとも言われます。まさに「自分の舌先だけでその言葉を『託宣』と称する預言者たち」(31節)とは、この世の情報の全てを掌握しつつあると考える優れた頭脳を持つ人々のことのように思えます。
それでは、この時代に神様は一体どこにおられるのでしょうか。
「私はただ近くにいる神なのか、と主は言われる。私は遠くからの神ではないのか。誰かが隠れ場に身を隠したなら、私は彼を見つけられないと言うのかと主は言われる。天をも地をも、私は満たしているではないかと主は言われる。」(23、24節)
どのような時代に生きようと、誰がどのようにもっともらしいことを言おうと、私達の内におられ、同時に世界中の全ての事柄を支配なさっている神様にだけ従い抜く、という堅い信仰をこそ私達は求められているのです。この求めに応えることは易しくありません。
何故なら、私達の心は実際に目に見える確かなものに惹かれるからです。又、同時に私達には内面の戦いも存在します。何かを選択する時の判断基準は自分が損をするか、得をするかです。そのスケールを用いることは偽りの預言に足元を掬われることにもなるのです。
神様の御心に従ったかどうかは、もみ殻と穀物のように、後からその結果は明白となります。この時代を偽りの預言に欺かれないよう生きるためには、神様に対する不断の祈りを続けるしかありません。
「欺かれてはならない」(2018.7.1)
投稿日:7月 1, 2018 更新日:
エレミヤ書23章23~32節