もう少し待ってください

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ルカによる福音書13章6~21節

イエス様に反感を持つ人々は、安息日に、18年間腰が曲がったままでいた婦人を癒してあげたことを批難しました。イエス様の愛に感銘を受けるのでなく、律法を守らないのはけしからんとイエス様を責めたのです。こうした背景の中でイエス様は実のならないいちじくの譬えを話されました。主人は園丁に何年待っても実のならないいちじくを切り倒せと命じます。しかし園丁は「来年迄待ってください。一年かけて丹念に世話をし、肥料をやってみますから。」と主人に言います。神様の御心を本当には理解出来ず、見当違いの方角から物事を判断する愚かな者達は、実をならすことの出来ないいちじくなのです。それは私達一人一人の姿でもあります。

パウロは成長の遅い信徒に対してこう言いました。「私はあなたがたに乳を飲ませて、固い食物を与えませんでした。まだ固い物を口にすることができなかったからです。」(Ⅰコリント3:2)いつまで経っても肉の人であって霊の人になっていない。すなわち成人になっていないと言うのです。それは耳が痛い言葉ですが、しかしパウロは、今はまだそのような者であっても既に神の霊を内に宿す者達は、神の神殿として土台の上にしっかり据えられていると励ましてくれます。実をならせる木とはどのような木なのでしょう。私の友人はすっかり心を閉ざしてしまった遠い地に住む弟に、毎朝メールで短い聖句を送り続けていたそうです。それを何年も続けている内に、その弟の心に変化が起こり、やがて昔のような姉弟の関係に戻ることが出来たと聞きました。

日常生活の営みの中でのささやかな愛の行いが、いちじくの実をならせることになります。イエス様は私達がそのような愛の言動に満ちた信仰者となれる日を、神様の前に執り成しつつ待ち続けて下さっています。