わたしはある

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ヨハネによる福音書 8章51~59節

イエス様はユダヤ人たちに向かって「アブラハムが生まれる前から私はある。」(58節)と言われました。それを聞いて彼らはイエス様が悪霊に取りつかれていると考えました。しかし神の御子であるイエス様がご自分を何者であるか公言されたと同じことを、かつて神様はモーセに向かって仰ったのです。「わたしはある。わたしはあるという者だ。」(出エジプト3:14) 神様はあり続ける方、常にある方、未来に向かってもある方。すなわち神様は時空を超えて人間の歴史の中に存在し続けて下さる方だということです。そして神様の独り子なるイエス様は、弁護者の霊として信ずる者の内にあり続けて下さる方だということなのです。人間の歴史の中に、教会の歴史の中に、そしてこの私という個人の歴史の中に在り続けて下さる方。

今、私達は不安な時代に生きています。多くの人が異常気象の被害に遭って悩まされている最中に、首里城が焼け落ちて行く姿を見て何か言いようのない暗い恐れを感じさせられたことです。東西冷戦が終わって30年。ようやく平和が訪れるという期待に反して世界はさらに混迷を深めています。又、この30年で情報化社会の進展の速度はあまりに早く、この先世の中はどうなってゆくのか分かりません。ハーメルンの笛吹き男のあとをついて行って行方が分からなくなった子供達のように、時代の流れにただ考えなしについていってしまうと、一体どこに連れて行かれるか。「わたしはある」永遠に変わることなくあり続ける、と言明なさる方にだけ、私達は従ってゆきたいと思うのです。
ついてゆく相手を間違えては取り返しのつかないことになります。