陰府での叫び

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ルカによる福音書16章12~31節

この箇所に出てくる陰府の世界とは、一体どんな所なのでしょうか。
旧約聖書の中では生者の生活世界の下方にある所と理解されていたようです。「わたしの命を奪おうとする者は必ず滅ぼされ、陰府の深みに追いやられますように。」(詩63:10)「天に登ろうとも、あなたはそこにいまし、陰府に身を横たえようとも、見よ、あなたはそこにいます。」(詩139:8)新約聖書には次のように書かれた箇所があります。「霊においてキリストは、捕らわれていた霊たちのところへ行って宣教されました。」(ペテロ一3:19) ここで言われている「霊たちのところ」が陰府なのか・・・。実際私達には分からないことです。けれど、今日の箇所から学ばなくてはならないことは、私達は生きている内に様々な警告に耳を傾けねばならないということです。

死んだ金持ちが、生きている自分の兄弟に悔い改めるよう勧めたいと願ったところで、それは無理な話なのです。では、陰府で苦しみながら叫ぶことがないようにするにはどうすれば良いのでしょうか?アブラハムの言葉です。「お前の兄弟たちにはモーセと預言者がいる。彼らに耳を傾けるがよい。」(29節) 私達にとってモーセと預言者の言葉とは、すなわち聖書のみ言葉です。私達が日常生活の中で出会う人々、出来事、事柄、それらの一つ一つから何を学ぶか。聖書に照らしてそれらとどう向き合うか。大切な警告をしっかり受けとめられるか。そのような日々の営みこそが、金持ちとラザロの間にあった大きな淵のどちらに行くかを決定するものとなるのです。