真実を伝える

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エレミヤ書38章1~13節

エレミヤ書にはイスラエルの民に対する神様の熱い思いが、全編に亘って語られています。神様がどれほどこの民を愛していたか。にも関わらず民は神様に対する背信、裏切りを重ね続けていたのです。しかし背信の民が厳しく裁かれる一方で、「主に信頼する人」については恵みの言葉が語られています。「祝福されよ、主に信頼する人は。主がその人のよりどころとなられる。彼は水のほとりに植えられた木。水路のほとりに根を張り暑さが襲うのを見ることなくその葉は青々としている。干ばつの年にも憂いがなく実を結ぶことをやめない。」(17:7,8)けれど、民は神様の元に立ち帰ろうとせず、厳しい裁きを招きます。

エルサレムがやがてバビロンの手に落ちると告げたエレミヤを、人々は水溜めに投げ込んでしまいます。真実が語られてもそれが耳に痛いと、語る人を憎み、語られた内容を否定し、これを素直に受け止めることが出来ません。これは私達の日常の中にも起こる事です。真実が告げられる時、それが自分の胸に刺さることだとなおのこと、これに反発したくなるのです。

一方、真実を語らなくてはならない時、私達は人の反応を恐れます。本当のことをを言ったらどう思われるか?どんな仕打ちが返ってくるか?旧約の預言者達は神様のみ言葉を命がけで取り次いだのです。どれほどの勇気が必要だったことでしょう。

イエス様はこのように語っておられます。「・・・何をどう言い訳しようか、何を言おうかなどと心配してはならない。言うべきことは、聖霊がそのときに教えてくださる。」(ルカ12:11,12)

真実を聞くにも、伝えるにも、私達は自分の思いでなく聖霊の助けを頂き、勇気を持って行動しなくてはなりません。