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光の方向に向かって

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ヨハネによる福音書 3章13~21節

本日は召天者記念礼拝を行います。私達はこの日を先に召された方々を偲び、遺された者がどのように生きていったら良いかを考える時としています。昨年秋から今年2月までの間、この教会では大切な信仰の友を4名天に送りました。昨年10月大学利文兄弟、11月木内初枝姉妹、12月鈴木めぐみ姉妹、今年2月市川種原兄弟。コヘレトの言葉には、次のように書かれています。「何事にも時があり、天の下の出来事にはすべて定められた時がある。」(3:1) 神様の定められたその時を、私達は事前に知ることが出来ません。思いもかけぬ時に、その定められた時がやってくることもあります。どうして?どうして?と神様を恨むこともあるでしょうし、寂しさと悲しみで立ち上がれなくなることもあるでしょう。けれど、愛する人との別れを引き摺って生きることは召された方達の望むところではありません。あの人が亡くなった原因は自分にある、或いはあの人にある。どうしてあの時こうしておかなかったか、自分を責め、人を責める。その思いにがんじがらめになると心は闇に沈んでゆきます。本日の箇所には聖書の中で最も大切なみ言葉が書かれています。「神は、その独り子をお与えになったほどに、世を愛された。独り子を信じる者が一人も滅びないで、永遠の命を得るためである。」16節

イエス様を信じて救われた者には永遠に滅びることのない命が与えられる。その命は遺された者の内に宿り続けるということです。愛する人と共に生きた大切な時間を、自分の人生に刻みつけて生きてゆくこと。闇の方向でなく、信ずる者に永遠の命を約束して下さるイエス様という光の方向に向かって歩む時、その永遠に続く光の中で私達はいつか再び愛する人に出会えるに違いありません。

-説教要旨

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