ヨハネによる福音書10章22~30節
新聞に次のような短歌が載っていました。「困ったら検索かけてすがり
つくスマホは手のりの神様だから」(丹羽祥子作・朝日歌壇より)
確かにスマホは瞬時にあらゆる情報を伝えてくれる何とも便利な手乗り
の神様と思える物かも知れません。けれど一方で自分の情報がこの小さ
な手乗りの機械の向こうにある目に見えない存在によって、全て把握さ
れているという不気味さも感じないではいられません。現に知らない内
に自分の口座から多額の現金が引き落とされる事件も起こっています。
犯人はこの機械の向こうの闇に紛れ、簡単に捕まったりはしないのです。
ジョージ・オーウェルという作家の書いた「1984年」という小説には、
個人の生活が全て監視されて誰もその網目から逃れられない恐怖の世界
が描かれています。作者は1950年に亡くなっているので、彼は1984年
には進化した科学技術によって人々が互いを監視し合う世界がやって来
ると予言したのです。今、まさに彼の予言通りの世界が現実になりつつ
あります。けれど科学は決して全能ではありません。
私達の信ずる全知全能の神様は私達の心を、魂を掌握し、支配なさって
いるお方です。この世の知恵が如何に優れたものであろうと、「私はある
という者だ」(出エジプト3:14)と名乗られる唯一絶対の神様は、人間の
歴史の過去、現在、未来にわたって在り続ける方、同時に私達一人一人
の人生の過去、現在、そして未来にわたっても共に在り続ける方なので
す。そして、イエス様を信じる者は永遠の御国で生き続けることを約束
されています。「わたしの羊はわたしの声を聞き分ける。」(27節)この声
を聞き分ける方法は祈りしかありません。この世の声を退けて、静かな
神様の御声を聞き分ける時間を大切にすることが求められています。