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「傲慢の罪」(2019.2.10)

投稿日:2月 10, 2019 更新日:

エレミヤ書13:1~11

預言者エレミヤを通して、神様はイスラエルの民への熱烈な愛を語られます。民を背信の女になぞらえ、ご自分を裏切り、他の愛人のもとに去ったことに対する嘆きと悲しみを、エレミヤの口を通し切々と訴えていらっしゃいます。腰にきちんと締めているべき麻の帯は、長いこと岩の裂け目に置かれたままになって腐ってしまった。

エレミヤは神様に命じられてこのような象徴的な行為をすることで、神様との契約を捨て去り、役に立たなくなった民の実態を明らかにしたのでした。「このように私はユダの傲慢とエルサレムの甚だしい傲慢を砕く。」(9節) 申命記にもこのような警告の御言葉が記されています。「あなたが食べて満足し、立派な家を建てて住み、牛や羊が殖え、銀や金が増し、財産が豊かになって心おごり、あなたの神、主を忘れることのないようにしなさい。」(8:12~14)

自分の生活が順風満帆の時、人は神様を忘れてしまいます。私は大丈夫、心配なんか要らない。そして、気付かぬ間に、いつか傲慢な思いに支配されるようになる。これが一番危険なことです。私達は神様の
愛を離れては、すなわち神様との契約の帯に結ばれていなければ、何の役にも立たずに腐ってしまうほかない存在です。そして、傲慢は人を遠ざけます。逆に心から神様に寄り頼み、祈りの内に歩んでいる人からは、不思議なオーラが放たれて周りの人を惹きつけます。

「母の胎内に造る前からあなたを知っていた。」(エレミヤ1:5) と仰る神様は、愛する者達が傲慢の罪に陥ることなく、神様の愛によって輝く存在となることを望んでおられるのです。

-説教要旨

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