この箇所は、救い主イエス・キリストの誕生を旧約聖書の中で予言したところとして、しばしば取り上げられます。かつてダビデ王が父エッサイの家系から最高位まで登りつめたように、この家系の切り株から第2のダビデ王が現れる。この王には深い思慮と力の霊が注がれ、この霊は神様から与えられたもの。正当な裁きと公平な弁護をされる正義と真実な方。この方が来られる日には「国々はそれを求めて集う。そのとどまるところは栄光に輝く。」(10節)と書かれています。この予言の言葉どおり神の子イエス様がこの世に誕生されたのです。
しかし今、私達は正義と真実とは真逆な事が堂々となされる世の中に生きています。しかし希望を見失ってはならない。「その日が来れば」(10)すなわちイエス様の栄光が現れる日は必ずやって来る、と聖書は告げています。私達が正義と真実の方に従う日が必ずやって来ると言うのです。この1年の教会の歩みを振り返りますと、愛する方々が召されたり、各々の事情により礼拝にいらっしゃらなくなった方々もおられ、寂しいことです。それでも先日のクリスマスやイブ礼拝後の会食には新しい方々が加わって下さり楽しい時を過ごしました。昨年の70周年記念会も恵みの時でした。小さな群れに対して「恐れるな。あなたがたの父は喜んで神の国を下さる。」(ルカ12:32)とイエス様は約束して下さっています。教会創立70周年の節目に遭遇している私達には、この地に福音の種を蒔いて下さり、それを育てて下さった先達の思いに応える使命があります。その業のために今、私達一人一人が神様に呼ばれていると思われるのです。正義と真実の方は必ずこの小さな群れに目をとめ、その願いと祈りに応えて下さいます。